1995年1月17日午前5時46分、淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.3の大地震が神戸市,西宮市,芦屋市,淡路町を中心に起こりました。これが阪神淡路大震災です。当時の私たちの認識では近畿地方でこれほど大きな地震が起こることは想定しておらず。ましてや大規模災害に対する対策などはほとんど整備されていない状況でした。
この地震による死者は6,433名、全半壊家屋274,181棟で電気・ガス・水道等のライフラインも壊滅状態となりました。このため、約35万人のも人々が避難所生活を余儀なくされたのです。発災当初は学校の体育館や街の公民館が避難場所として使用されましたが、勿論プライバシーの確保など望めるはずは無く、食料や飲料水は全て配給物で、震災が起こった時期が真冬の最も寒い時期という事も相まって、精神的肉体的ストレスは計り知れないものであったと推察されます。また、震災時には常用薬の休薬を余儀なくされる事も多く、基礎疾患が増悪する方や、いわゆる災害弱者と言われるCWAP(C:Children,小児、W:Women,女性、A:Aged people,高齢者、P:Patients,疾病者)の方々を中心に体調を崩される方が多く発生しました。
当時私が所属していた病院では震災翌日から被災地の高校で常設の診療所を立ち上げ、避難所への巡回診療も開始しました。
地震発生当初2-3日は外傷の患者さんも多く、傷の手当てが主な業務でしたが、その後は体調不良を訴える方が増え、疾病内容が内科系疾患へと変化していきました。内科系疾患のうち、呼吸器系では肺炎の発生が多くみられ、また消化器系では消化性潰瘍の発生が例年と比べてかなり多く発生しました。